四月ぐらいに訪問しました。行きの高速では雪がちらつき、まだとても寒い頃でした。
駐車場に着くと、まだ空いている感じでしたが、数台の大型観光バスで外国人の観光客が押し寄せたため、空いているところから回ろうと、人けのない駐車所の南側の野外博物館に行きました。
順路に従い、最初の合掌造りの建物に入ると衝撃的な内容でした。昭和初期の新聞の切り抜き等が展示されていて、忘れられたとか見捨てられた集落という記事、また、冬に医者の到着が間に合わずに亡くなった母子の記事等が展示されていました。
全部で様々な場所から移築された十数棟の合掌造りの建物があり、それぞれのテーマがあり、実際の暮らしぶりが感じられ、二階以上の、冬の生活の糧となる蚕による絹の生産まで知ることが出来ました。
障子の張替をしている方がいて、内外を仕切るものが障子しか無いことに驚き、すぐに破れるのではとの質問には、意外と丈夫との回答。採光のために必ず必要で、濡れても囲炉裏の効果で乾くと説明してくれました。ただし、そこは人が住んでいないので、すぐに破れるそうです。
その後にメインの街並みを見学しましたが、とても感慨深く、そこに住む人々も含めて見学することが出来ました。のちにテレビで見たのですが、居住箇所は十分に防寒対策をして、外見には慎重に配慮した暮らしをしている家族もありました。防火対策にも力を入れていて、一斉放水は風物詩となっています。